「くろがねの星乙女」サンプル 

 

 撓む木の枝から、どさりと雪の塊が落ちる。
草木(そうもく)萌動(もえいずる)。人里では春の兆しが雪を割って顔を覗かせる季節だが、森はいまだ深い冬の中だ。
白い静寂に沈む山裾の道、脛が埋まるほどの深さの雪をざくざくと踏みわけ進む、場違いなほどに黒い装いの少女の姿があった。
尖った三角帽子に乗っかった雪を払い落すと、蜂蜜のように色の濃い金髪が揺れる。口元を覆う襟巻を外すと、白い息がほうと塊のように噴き上がる。
普通の魔法使い、霧雨魔理沙。流星のように幻想郷の空を駆ける少女の姿はいま、雪に沈む森の中にあった。
立ち止まった魔理沙は腰に吊るした水筒の中身を少しずつ口に含む。揺れて凍らずにいた茶は、氷よりも冷たく喉を滑り落ちていった。
「……ふう」
冷え切ったお茶も、雪の中を歩き続けて火照った身体には心地いい。じっとしていればものの数分で汗が冷えて、凍えてしまうだろうけれど。
懐炉代わりに動いている懐のミニ八卦炉を探り、魔理沙は息を整え、背の荷物を直して再び歩き始める。
幽かな清音の響きが歩みと共に近付いてくる。冬の装いを残す玄武の沢は、九天の滝より続く雪解けの水を孕んで、いつもよりも勢いを増していた。
「……到着、と」
「遅いよ、盟友」
待ち合わせの場所には既に相手の姿があった。
この沢を住まいにする河童、河城にとり。いつもの作業服の上から褐色の防寒着にくるまった姿はまるで熊のようだ。河原に座り込むその傍らでは瓦斯コンロが青い炎をあげ、アルミのポットがカタカタと音を立てていた。
「よう、もう来てたのか」
振り返るにとりに、魔理沙は白い息を見せて笑う。
「待たせておいて良く言うね」
「途中でちょっと掘り出し物が見つかってな」
魔理沙はごそごそとポケットを漁り、遅刻の原因となった寄り道の成果を示してみせる。
大粒の氷の鱗。氷の張った泉の水底で見つかるこの宝石は、真冬の伊吹が冷えて凝った冬の魔力の源である。この時期にしか手に入らない貴重な魔法の品だった。
「まったく。凍えちゃうかと思ったよ。これだからこの時期、(おか)の上は嫌いなんだ」
「そんなに寒いならお前も山で暮らしたらいいんじゃないか?」
「あんな軟弱な連中と一緒にしないで欲しいもんだね」
山童と同じ扱いなんて心外だと口を尖らせるにとり。
彼女に言わせれば、これで案外と水の中は暖かいのだと言う。氷が張る寒さに比べれば確かにそうかもしれないと、魔理沙は一人納得した。
「おお、これか?」
にとりの座る岩から少し離れた場所に立つ、四角い粘土の柱を見つけて、魔理沙は声を上げた。
河原の石をどけて均した地面の上に立つそれは、小型の粘土炉であった。土台には煉瓦、上部には排気の為のブリキの煙突が取り付けられている。既に長く火が焚かれているとみえ、表面の粘土は乾き、煤に汚れている。
感心する魔理沙に、にとりは腰に手を当てて胸を張ってみせる。
「魔理沙が遅いから先に炉の方が完成しちゃったんだよ。……んで、そっちの準備は?」
「このとおり、細工は流々だぜ」
魔理沙は再度懐を探って、外套の下から一抱えもある袋を引っ張り出した。明らかに服の下には納まりきらないサイズだが、魔理沙のポケットは二重底の魔法のバッグ(バルクレス・ウェイトレスバッグ)の原理で小さな亜空間になっており、見た目とは無関係にものを収納しておけるように改造されている。
魔理沙が袋を開くと、中には赤茶けた筒状の塊がぎっしりと詰まっていた。形状から狐の枕、あるいは見つかる地名をとって高師小僧などとも呼ばれる、褐色鉄の塊である。河原や水辺のある地域で古い地層から見つけることができ、太古の時代から鉱物資源として用いられてきた。
「御山の方ならいい砂鉄が取れるんだけどね……って、ずいぶん集めたんだね」
「甘く見て貰っちゃ困るな。菌糸の栽培は得意分野だぜ」
「え、これ拾ったんじゃないの?!」
「もちろんだぜ」
胸を張ってみせる魔理沙。にとりが勧めたのは河べりの崖などを歩いて、古い時代の地層から褐色鉄を集めることだったのだが、魔理沙はなんとこれを自作したらしい。
これらの鉄は水辺の稲や水草の茎を取り巻くようにして形成されることが知られている。円筒形をしているのはそのためだ。
魔理沙は魔法の森の湿地に自生する葦の根元に、Leptothrix(レプトスリックス)属、Gallionella(ガリオネラ)属の鉄バクテリアを繁殖させて、水中の鉄分を水酸化鉄にして褐鉄鉱を作り出したのである。
言葉にすれば単純だが、鉄バクテリアによる褐色鉄の生成には非常に厳密な条件が要求される。気温の低い冬季にそれをしてのけるのは生半な労力で出来るものではないだろう。
「なんたって私がつくるものだからな。磁石引きずって砂鉄集めるより、こっちのほうがらしいだろ」
「……そうだね」
胸を張ってみせる魔理沙に、にとりは歯を見せて頷いた。
「これなら、いい鉄が作れると思うよ」

◆ ◆ ◆

「……鉄? 鉄ってあの鉄だよね? なんでまたそんなもん作りたいのさ?」
「できないのか? 河童はそういうのが得意だって聞いたぜ」
いつも通り神社で開かれた十二回目の新年会。守矢の神様に挨拶に行った仲間たちと別れて境内をぶらついていたにとりは、いきなりやってきた魔理沙にそんな話を尋ねられ、面食らったように眉を寄せた。
「そりゃ、河城の大工房に製鉄炉はあるけどさ……。材料を分けてくれってことかい?」
「いや。私にその炉を使わせて欲しいんだ」
「……はあ?」
魔理沙の意図がつかめず、にとりはますます困惑を深くした。
技術に優れた河童は、製鉄にも深く通じ、集落の大工房には大きな鉄鉱炉を持っている。しかしそれは妖怪の山全体で運用計画が定められて厳重に管理されている。作業にかかわる人員も一人や二人ではなく、にとりの一存で動かすことなどできないし、部外者を割り込ませるなどもってのほかだ。
「なんとかならないか?」
「そんなこと言ったってねえ……」
いつになく真剣な魔理沙に、にとりも言葉に詰まってしまう。
魔理沙は魔法使いのくせに河童の技術に理解を示し、無縁塚から外界の道具を拾い集める変わり者だ。地底探検以来、意気投合して、にとりも何度となく一緒に実験をしたことがあった。
とは言え、今回はそう単純ではない。にとりはしばし腕組みをして考えを巡らせる。
「ううん……あのね魔理沙。製鉄炉は無理だけど、別の方法で鉄をつくることならできるよ。これならそんなに手間もかからない」
「本当か?」
「他ならぬ盟友の頼みだからね、任せといて。それで、用意するものだけど……」

 ……………。
……。

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